今村 藍
県立船橋高校出身。将来に迷っていたところ、見ていた医療ドラマの影響で医師になろうと決め、新潟大学医学部へ進学。新潟という地に惚れ込み、卒業後は新潟県長岡市の病院で初期研修を行う。しかし、その救急外来での苦い経験から、救急医療を実践できるようになるために、出身地である千葉県の当院救急科後期研修プログラムへ。
この手で本当に患者を救えるのか―知識を実践可能な技術へ
新潟の地で訪れたターニングポイント
医者になろうと思った理由は何か?―何かいい話を期待して、よくある質問ですが、残念ながら私にはそういった期待に答えることはできません笑 高校生のころに見ていたドラマの影響で、医学部に進学しました。その後、大学のあった新潟に惚れ込んで、初期研修も新潟で行いました。とても良い上司や同期に恵まれたこともあり、医師としての充実したスタートをきることができました。
ただ、その中でもやはり研修医にとっての鬼門は救急外来。私の研修病院の地域では、輪番制を敷いており、3日に1回と当番日は少ないものの3病院分の患者さんが集まるため一晩に40人以上を研修医2人で診るというような当直でした。2次救急病院ではありますが心肺停止や人工呼吸器管理を要する呼吸不全、 ST上昇を伴う胸痛など、重症患者さんも搬送されてきました。
ある日の救急外来、インフルエンザ陽性の呼吸苦を主訴にした女性が搬送、来院時は会話可能でしたが、その後急変、循環器内科の先生が駆けつけてPCPS挿入し集中治療が施されましたが救命はできませんでした。診断はウイルス性心筋炎でした。
なぜ救命できなかったのか。診断やPCPS導入が早ければ助かったのではないか。それまでは「症状の原因がわかった、やったー!」で終わっていたところが、自分の手の中から命がこぼれ落ちていくのを目の当たりにし、結局自分は何ができるのか、自分が提供している「医療の質」に関して考えるようになりました。
心エコーで壁運動低下が見つけられても循環器内科の先生が来るまで何もできない、高K血症とわかっても内科の先生が来ないとGI療法の処方ができない、等、原因がわかっても実際に治療ができない、教科書では知っているが・・・という現実にもどかしさを感じました。「もっと実践できる技術を身に着けないといけない!」と強く思い、救急科研修を決めました。
当院はこんないいところ! 〜ダイバーシティ松戸〜
あれだけ新潟県が大好きだったのに千葉県に帰ってきた一番の理由は出身であることもありますが、一番の理由は、症例数の多さです。3次救急病院が集中しているわけでもなく、人口は多い。技術を身につけるためには繰り返しが大事だし、特に、緊急の場で息をするようにアウトプットできるようになるには、それだけの経験の積み重ねが必要と考えました。
そんな思いで来た当院の救命救急センター。来てみて驚いたのは、まぁなんといろいろな人がいるなぁということ!キャラクターもさることながら、全員が全く異なるキャリアをお持ちでした。外科医、内科医、産婦人科医、脳神経外科医、消化器内科医。研究してた人、ずっと臨床やってた人。今まで勤務してきた病院も様々ですが、不思議なことにそれがまるでオーケストラのように一つのチームとしてまとまっています。この多様性が当院の救命救急センターの強さなんだろうと思います。
このような状況もあり、当科では、サブスペシャリティやダブルボードも積極的にサポートしてくれます。私は今でも将来を悩んでいる身ですが、進路を一緒に考えてくれる頼れる上級医、同世代の他の科の専攻医もいて、不安はありません。もし救急に少し興味はあるが、まだ悩んでる初期研修医の先生方がいましたら、当院に来てみませんか!?