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竹田津 史野

無医村などで地域医療を行っていた医師である父親を身近に見ながら育ち、自身も医師になるべく、東京女子医科大学医学部へ進学。同大学附属東医療センターで初期研修。救命救急センターでの研修中に重症患者の前で何もできなかった経験から、救急医となることを決め、東京医科歯科大学救命救急センターへ入局する。

 

医科歯科での1年間の研修後、改めて東京女子医科大学東医療センターの救命救急センターで修練。専門医取得後、サブスペシャリティとして産婦人科を選択し、都立墨東病院、東京大学医学部附属病院、帝京千葉総合医療センターの産婦人科で研鑽を積み、産婦人科専門医となる。現在、当院で救命救急センターと産婦人科の業務を兼任。周産期救急/母体急変のプロフェッショナル。

二つの命を未来へつなぐ…

命の誕生と終焉に向き合う―甘かった自分に気づくチャンスをくれた救急医療

私は、小児科や産婦人科、どちらも未来を絆ぐ科だと思っています。誕生してくる命を未来へ絆ぐ、小さい頃からそんな小児科医や産婦人科になろうと思っていました。

 

しかし、初期研修のときに救命救急センターで研修し、その生命が消えそうな重症患者を前に、何もできない自分に愕然としました。命と真剣に全力で向き合うには、救急の世界を知らないといけない―そんな思いで、東医療センターに来ていた医科歯科救急の先生を頼りに、東京医科歯科大学の救命救急センターの門を叩きました。

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救急と産科を絆ぐ。きっとそれが私の使命。

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産後の大量出血による出血性ショックで瀕死の状態で搬送になった症例がありました。救急科でREBOA(蘇生的大動脈遮断バルーン)挿入と大量輸血などの出血性ショックの管理を行いながら、産婦人科での緊急子宮摘出術で一命を取り留めました。もしかしたら赤ちゃんは一度も母親に会えなかったかも知れない、そんな生死をさまよった患者さんが、数日後には赤ちゃんと共に歩いて退院しました。


救急科だけ、産婦人科だけ、では救命できなかった症例です。救急科といえども、「妊婦」というワードに一歩引いてしまう人が多いのが事実。そして産婦人科にとって専門的な救命対応や集中治療は難しい。そんな救急科と産婦人科を少しでも橋渡し、つなげることができれば。きっとそれが私の使命と思い、救急科専門医取得後に産婦人科のサブスペシャリティ研修に出ました。

現在は、当院で救命救急センターで重症患者を見ながら、産婦人科で、帝王切開を含めた産科の診療も行っています。赴任してからも、危機的産科出血、癒着胎盤や前置胎盤の帝王切開時のREBOA挿入など、お母さんや赤ちゃんの笑顔を、未来へ絆ぐことができてるのかなと思いながらがんばっています!

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